■ 不思議な現象が起きる
金の実践開運 新しい氣で「幸運体質」へ
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こんにちは、いけだ法弘です。
問い合わせが多い「断三感の法」について。
この法をおこなっていると
「奇妙な出来事が起きた」という報告があります。
その内容には、いくつかパターンがあります。
たとえば、次の方は岐阜県の女性の実践者です。
このような話をお送りくださいました。
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「 …断三感の法をしていますと、同じく
断三感の法をされている他の方の姿が
パアーッと目に浮かんでくることがあります。
あまりにもその映像がリアルだったので
(中略)
…気のせいとは思いましたが、
何か悪いことがあるのだとしたら怖いと思い、
質問させてもらいました。 」(Sさん)
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ほかにも、このような声があります。
「行った事がない他人の家の墓が見えた」
「知らない人の部屋が見える」
「泣いている人が見えた」
「いつも仏壇が目に浮かぶが、うちにはありません」
「死んだ祖母が、目の前に出てきます」
「いけだ法弘先生が目の前に立っていた」
などなど。
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結論から先にいいます。
“ 悪い兆候では? ”と心配する方がいますが、
悪いことが起きているのではありません。
何が起きているかといえば、
本当に「 その現実が見えている 」のです。
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信じられないという人もいます。
しかし、見えているのです。
■ なぜ怖い?
金の実践開運 新しい氣で「幸運体質」へ
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人は、このようなできごとを
多くは「怖い…」と感じます。
心が反射的に“ 拒否 ”してしまうからです。
なぜか?
理解できない現象だから。
人は瞬時に理解できないできごとを
本能的に“ 警戒 ”します。
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しかし、
この「 見える 」という現象については
怖がる必要ありません。
その人に、
ある種の「 変革 」が起きている場合、
今まで見えなかったものがパッと見えたりする。
あるいは声や音が「 届いたり 」します。
そのようになります。
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そうした感覚を、
しっかり捕まえておく必要があります。
なぜなら、
世間の常識はそれを気のせいだと切り捨て、
忘れるようにと促すからです。
そうやって、
人々の“ 平均化 ”はおこなわれてきました。
要するにこの現世では、出る杭は打たれるのです。
カンの鋭い人は、嫉妬され、人から嫌われます。
それゆえ、このような話を馬鹿にする人も増えます。
( ゆえに霊感を隠して生きている人は多い。)
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しかし、
この「見える」をしっかり意識の中で捕まえれば、
それは第六感(シックスセンス)という
本来の感覚が
あなたに戻ってくることであり、
それはあるべき人の能力なのです。
■ なぜ全裸なのか
金の実践開運 新しい氣で「幸運体質」へ
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また、冒頭の話にもありましが、
断三感の法をおこなっている人が互いに
「見える」「見られている」と感じる。
そうなる場合があります。
金の実践開運の断三感の法は、
一糸まとわない、全裸でおこないます。
それゆえ、
「恥ずかしい」という意見もあります。
実際のところどうなのかといえば、
氣によって起きているのが
実践者さんたちの「 同調 」です。
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紹介した岐阜県の実践者の女性も
「見えた」とおっしゃっているように、
同調作用により、遠くからでもこうした
「見える」は現実に起きる。
しかし、恥ずかしがらないで下さい。
なぜなら…
■ 糞掃衣(ふんぞうえ)
金の実践開運 新しい氣で「幸運体質」へ
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お坊さんが着ている服を袈裟(けさ)といいます。
袈裟とはもともとサンスクリット語で
「汚れた色」という意味のカーシャを、
中国で漢字にあてたものです。
サンスクリット語というのは
お釈迦さまも使われていたインドの公用神聖言語。
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なぜ、お釈迦さまはそのような「汚れた色」の
衣を身につけていたのか。
それは、
墓地に捨てられた死体の衣服。
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本来の袈裟は黄赤色です。
死体の血、腐敗した肉を洗い落とし、残った色が
黄赤色、汚れた色の“カーシャ”だったのです。
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お釈迦さまはその“カーシャ”を身にまとい、
菩提樹の下で、人々を幸福にしようと、
そこに座り、方法について考えました。
つまり、こういうことです。
“カーシャ”とは着る服のことではなく、
「 強い意思 」のことなのです。
腐臭を放つ、死者の衣を身にまとうことで、
人生の最悪の中から不死鳥のごとく再生する、
人々の幸福について考える…
☆☆☆
いま話したように袈裟は
汚れた色という意味ですが、
その衣は糞掃衣(ふんぞうえ)といいます。
糞便を掃く布という意味です。
つまりは、衣服ではないのです。
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“ その時 ”には着飾るものを身につけないこと。
それが、この意味です。
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残念なことに、袈裟、糞掃衣、いずれも
これが中国、日本へと伝わるうちに、
大切な本来の意味が消えてしまいました。
お坊さんの袈裟は豪華な色になりました。
糞掃衣は、まるで王侯貴族のそれです。
☆☆☆
その人たちを見つめて、
お釈迦さまはこう言います。
「 それらを、捨てなさい 」
☆☆☆
イエス・キリストも過酷な荒野で
救世主となりました。
飲まず食わずの四十日間だったといいます。
人は、何もかも失くした時に
神霊や過去世と再び会えるのです。
無駄なぜい肉が多い、いまの暮らしです。
この世にないものを手に入れたいのであれば、
“ その時 ”無駄なものはその身から離してください。
すると素晴らしいものが届きます。
金の実践開運 開運の世界の案内人
いけだ法弘
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下記の実践者さんたちの“ 声 ”が
あなたの参考になるかもしれません。
(※ 頂いた反響の声のなかから、一部を許可を得て掲載しました。)
学生 20歳 匿名 北海道
「 4ヶ月前に大切な友人が亡くなりました。
存在感も感じないくらい一緒にいるのが当然みたいな
毎日だったので、ピタッと時間が止まりました。
悲しくて何もできなくなり、寝込んで拒食症みたくなって
急に涙が止まらなくなるという毎日でした。
死んでもそばにいるから、見守られているからと
慰められても何も感じなくて、辛かった感じでした。
それが、いけだ法弘先生の教えの通りにすると
本当にそばにいることが分かってホットしました。
亡くなったけれど存在が無くなったのではないと知りました。
前みたいに毎日一緒に生きられないので、寂しいのは寂しいですが、
私も後を追って自殺しようという考えは無くなりました。
生きている人間は精一杯生きていないと駄目なんですね。
彼女と一緒に取りたかった資格を取る勉強を今はしています。
先生の教えは励みになります」
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会社員 44歳 安田香津美 東京都
「 亡くなった母とまた話ができてよかったと思います。
母は去年癌で亡くなりましたが、最後が痛がっていたので
何もしてあげられなかった申し訳なさが思い出されて
ふと涙が出てどうしようもない気持ちになり、
1年近く経ってもずっと落ち込んでいました。
子供の頃、あんなことがあった、こんなときもあった。
そういう思い出が辛いのです。だから余計に辛かった。
このままじゃだめになると思って心理の本を読んだりしましたが、
元に戻らず、このまま私は死ぬとさえ思いました。
もう一度会いたい、母と顔を向き合わせて話をしたい…
自分がこんなに弱いなんて思ってもみなかった。
何かの縁で、インターネットで金の実践開運のことを
知ることができ、読ませていただいているうちに、
ここにお願いすれば母と会えるのでは?と思い、
実践をさせて頂きました。すると母が幸福だったことが
分かってきたので、こうやって話をするのが
本当の供養なんだなあ、母は喜んでいるなあと
分かってきて、教えて頂きました。
母の笑顔が見れました。嬉しかったです。
この春にお陰さまで仕事を見つける事が出来ました。
母といけだ先生が導いてくれました。
私も人の為に何かできることをしようと願っています。
いつもありがとうございます。」