「氣が見える~働き盛りで失明した私~」

「氣が見える~働き盛りで失明した私~」

氣の治療家/鍼灸師 池田弘光院長

談話を抄録しました。
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古典漢方、針灸治療を行っております、

池田弘光と申します。

 

お世話になっております。

はじめに、簡単な自己紹介をさせていただきます。

年老いた今となっては昔話のようですが、

私は生まれたときから全盲だったわけではございません。

 

昭和33年に高校をでて就職し、結婚して子供が生まれ、

けして裕福とはいえませんが、普通の暮らしをしておりました。

 

■ 原因は難病

“目がおかしいな”

目の異常に気づきはじめたのは、

あれは、40歳を過ぎたあたりだったと思います。

「痛い」

なぜか職場の机やイスに足をぶつけるようになったのです。

 

それも一日に何度も。薄暗くなると道路の溝にはまって、

大きな怪我をしたこともありました。

これはおかしい、と病院で調べてもらったのです。

地元の病院では、診断がつかず、いくつかの眼科医をたずね歩き、

ようやく病名が判明いたしました。

 

「網膜色素変性症」という目の病気でした。

意外に思われるかもしれませんが、

そのとき私はホッと安心したのです。

 

なぜなら、このように思ったからです。

 

「よし、やっと病名が分かった。治療がはじまるだろう…」

 

■ 私は介護士でした

 

私はその頃、介護職として

郷里である鹿児島の老人ホームで働いておりました。

 

 

 

 

 

 

介護やリハビリの仕事は、私にとって天職でした。

お年寄りを歩けるようにして差し上げると、

「ありがとう」と感謝される。

それが嬉しいのです。

 

寝たきりの人でも、何人も歩けるようにしたものでした。

ところが、私の目を診た医者は、こう言いました。

 

「この病気の治療法はありません」

え?なんて言いましたか?

 

私は自分の耳を疑いました。完全に目が見えなくなると?

当時、息子は中学生。年老いた両親もおりました。

 

「先生、それは困ります」

 

目が見えんようになるなんて…困る。

 

■ 失明した私

あれから歳月が過ぎ、私の目は、

今はもう完全に見えなくなっております。

 

盲人の白い杖と、そして、長年連れ添ってくれる妻の

介添えがなければ家の外を一歩すらでることかないません。

 

何十年も前の話ですが、もちろん介護の仕事はできなくなりました。

 

「どうやって生きていけばいい…」

 

失明の可能性が分かった当時のこと、

新しい職をさがしましたが、目が悪い者を雇ってくれる

職場は見つかりませんでした。

それならばと雑貨を扱う小さな商売をはじめましたが、

必死の努力の甲斐なく(本当に死に物狂いでした)

あえなく失敗してしまい、貯金が、全部無くなってしまいました。

 

■ 生活が苦しい

 

私の目は、ますます見えなくなりました。

失明するのは、大変怖いものです。

 

不安で眠れなくなる。そんな夜もありました。

そして、なにより私ばかりでなく、

家族を苦しめている。そういう思いがありました。

 

恥ずかしい話ですが、当時は親戚に助けてもらうなど、

大変苦しい生活を送っておりました。

 

そのような暮らしが、少しずつ、変わりはじめたのです。

月日は流れ、紆余曲折ありましたが、私はこうして

希少な古典漢方をあつかう針灸師となりました。

氣で患者さんを治す、大変珍しい治療家です。

 

ご存じであると思いますが、

鍼灸師というのは国家資格でございます。

 

それになにより嬉しかったのは、また昔と同じように、

苦しんでいる人々を治す、その仕事に就けたということ。

私はこれを「天の声」だと信じております。

なぜなら、私は、このように目が見えなくなったのに、

かつて「天職だ」と信じていた“人を治す”職に

ふたたび就くことができたからです。

 

私は、凶運から復活できた人間なのです。

人は、天を侮ってはいけません。

人は、何者かに、見られているからです。

私は、それが、人の言葉を借りれば、

天に見られているのだと、そのように考えております。

天の命を受けて、人を治す。

このような仕事に就くことは、私への天命であった。

 

「池田先生、治ったわ。ありがとう!

氣のパワーというのはホンマ、凄い」
■ 信じられないかもしれませんが

 

私が大変うれしいのは、病気が治ることで、

患者さんたちが「氣」の存在を真剣に、

実感してくれることにあります。

 

ずっと治らなかった慢性症状が

“ケロリ”と治ったりするのです。

 

「魔法のようだ」

「信じられない」

「不思議だ…」

 

なかには、私のことを、

 

「“神様”だ」とおだてる人もおりますが(笑い)、

しかし、これは私のからだを通した、

氣のパワーなのでございます。

 

信じられない、そうおっしゃるかもしれませんが、

よい氣というものは、人にとって、その運命すら治すのです。

 

なぜ、そう言えるのか?と言いますと、ご覧ください。

 

この私です、盲目の老人。

働き盛りの40代、難病で、目が見えなくなり、

大事な職を失くし、家族をかかえて、一気に貧しくなりました。

 

その貧しい人間が“復活”できたのは、それこそ、この力、

氣という不思議な力のおかげなのです。

 

■ 信じてくれた人々

 

ある有名な会社の社長さんが、

「これ召し上がってください」

お礼にと、田舎から届いた野菜をわざわざ持ってきてくれたり、

家族ぐるみでお付き合いさせていただく方もいます。

 

「氣というのは見えないから、

信じられなかったけど、本当にあるんですね」

多くの人がこう言って、心底驚きます。

 

あなたは、こんな言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

「奇跡を信じない人に、奇跡は起きない」

 

私は目が見えなくなりました。それはとても恐ろしいことでした。

しかし氣は、いまの私に教えてくれました。

 

大きな不幸は、やがて、「幸せのたね」になるのだと。

私自身の苦しかった人生が、その証明であります。

「禍転じて福と為す」と言います。

「人間万事塞翁が馬」と言います。

 

ものごとの凶と吉は、常に一つとしてあり、裏と表である。

不幸と幸運は、けっして別々にあるものでありません。

それらは氣というものによってつながっているのです。

私の目は、光を失い、しかし、

そのかわりにこの指先で氣が見えるようになったのです。

氣の流れが見えるようになったのです。

「信じられない」という人もまだまだ大勢います。

しかし、見えないからといって、存在しないものではありません。

いまだ多くの人々が、見ようとしないのです。

 

そのせいでしょうか。

良い氣が、世間からだんだん減っているのです。

 

たとえば、こんなふうに思ったことはありませんか?

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◎昔の演歌からは、日本人の強い“氣”が感じられたが
現代の流行歌から“氣”が伝わって来ない。
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◎昔の男たちには強くたくまい“氣”の力があったが、
今の若者たちの“氣”はなぜが年々弱まっているようだ。
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◎原因不明の苦しみ、悩みを訴える人が増えている。
何か世の中のバランスが狂っているようだ。
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これらは、ほんの一例に過ぎません。

「昔は良かった」と感じるのは、実は

「気のせい」なんかではありません。

その気のせいではなく、

世間や人々から良い氣の流れが無くなっている。

 

 

・・・

 

私は、盲人です。目が見えない。

 

けれども氣を知ることによって、

あたえられた凶運を、わが力で吉運へと変えることができました。

信じられないかもしれませんが、人は、運命を変えることができます。

 

視力を失うことは私の宿命でしたが、その運は、幸せへと転じて行った。

運命を変えたい人は信じることです。

私には、その奇跡を起こす根本が見えるのです。

それが“氣”です。

苦しむ人の多い時代となりました。

高齢となった私は、人のお役に立てるものを

のこしたいと思いました。

私の氣の話が、あなた様のお役に立てるのであれば

これは甚だ幸いです。

 

私は人の喜ぶ笑顔を見ることが好きでした。

もう見ることはかないませんが、良い氣は伝わります。

 

あなたに良い気の流れが伝わり、あなたが幸福になるよう

精一杯の話をのこしていきたいと思っております。
大阪市城東区関目1丁目14―14
いけだ針灸治療院ハピネス関目

“氣の治療家”池田弘光 院長