日刊ゲンダイ編集長のパーティーに出席しました

ぼくは幸運です。

素晴らしい人たちとの出会いに恵まれているからです。

凄い人たちばかり出会わせてもらっている。

感謝です。

あれは27年前。そのときはまだバイトのつもりでした。

当時人気のあったヤマハの350ccバイクが欲しかった。

すごく欲しかった。でも、ぼくに新車は買えません。

貧乏だったからです。

 

あるとき中古をみつけました。かなり安い値段。

欲しい!

 

でも手がでない。

だからバイトをさがしていたのです。

 

それから27年、結婚して子供ができ、その子が成人した今でも

ぼくはまだそのときとおなじ仕事をしています。

 

その仕事の恩人が定年で新聞社を退職することになり、

過日、お祝いの席に呼ばれて顔をだしました。

なぜかマスコミは特別視されることが多いですが、

ぼくはそのおかげで今も有名人に直接会ってインタビューしたり

一緒に食事をしたりすることができるわけです。

 

ぼくにその道を切り開いてくれた恩人の一人が

Mさんという日刊ゲンダイ大阪本社編集長でした。

 

日刊ゲンダイの大阪本社は当時、大阪空港にほど近い

豊中市の日刊スポーツビルにありました。

ぼくが原稿を持ってヤマハで乗り付けると、

4階にあった編集部に当時まだヒラの編集者だった

Mさんが座っていました。

 

その仕事っぷりはマスコミには珍しい無口な職人気質で、

なかなか人見知りするたちなのか、

仕事以外で人と口をきくことは少ないようでした。

けれどいちど気にいると面倒見がいい人で、

ぼくはなぜかMさんに気に入られ、

以後ずっと面倒をみてもらうことになるのです。

 

一流スポーツ選手の取材、大企業の取材、その経営者へのインタビュー、

大物タレントやマスコミのいわゆる“時の人”の取材を

Mさんから依頼され、時には同行し。各地を飛び回りました。

 

するうちMさんは順調に出世。

ついにトップである編集局長になりました。

日刊ゲンダイ大阪前編集長の定年お祝いパーティーにて

 

 

 

 

 

 

ぼくといえば、たくさんの著名人にインタビューして記事や

本を書かせてもらい、そしてプロダクション会社を

つくることができました。

 

…ふり返ってみると、これは「成功物語」です。

なぜならぼくは当時、父が失明し、大学にも進学できず

家は貧しく、将来を悲観していました。

 

あとで聞いたのですがMさんも早くに父親を亡くし

家が貧しく苦学されたそうです。

 

「運命は、苦しむ者を常に救おうとしている」

 

ほんとうに、そう思います。

 

そのMさんが定年退職です。

招かれた北新地の海皇

顔をだすと、6人、7人… あれれ? 少ないな…

 

部数170万部の“巨大”夕刊紙のトップだった元編集局長の宴席です。

ひと声掛ければ、おそらく何百人が来たがるでしょう。

各界の著名人らがドッとたくさん駆けつけるでしょう。

 

 

…しかし、この人数。

 

「さすが、Mさんらしいな」と微笑ましく思いました。

今でもまだ人見知りのままだ…と、ぼくは笑いました。

 

その席にぼくの師匠も出席していました。

ぼくの師匠は関西の出版業界の、知る人ぞ知る大物です。

 

この席に呼ばれているぼくは考えます。

はたして、「幸運」とは何だろうか?と。

 

昔、ぼくの家は貧乏でした。

努力だけではどうすることもできないことがありました。

 

自分の力だけで成功した人はいません。

 

ぼくはこの27年間で数多くの著名人にインタビューしていますが、

「自分の力だけで成功した」なんていう人には会ったことがありません。

 

これは、あたりまえのようですが、

この「あたりまえのこと」が一番大切なのです。

 

だれかに支えてもらわないと、人はまともに

まっすぐ歩くこともできないのです。

 

自分の力だけで歩いている、なんてことはありえない。

人生に成功する人、

人生に失敗する人。

 

その違いは何だろう?という「問い」が、あります。

それはあなたに本当の支えがあるかどうかの違いなのです。